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[『サピエンス全史』を起点に考える]「それは、サピエンス全体に存在する協力を増やすか?」という評価基準

公開日: :

1.「社会派」に対する私の不信感

(1) 「実存派」と「社会派」

哲学者の西研さんは、「人間には、「実存派」と「社会派」という二つのタイプがある」と指摘します。

(引用は、『NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ』。)

そもそも人間には、「実存派」と「社会派」の二つのタイプがあるようです。

自分自身の苦悩と生き方にとことんこだわり、あまり社会のことに関心をもたないタイプの人が実存派ですね。

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もちろん個々人の苦悩は大事だけれど、社会をよくするのが先ではないかと考えるタイプの人がいます。これが社会派です。

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西研さんは、両タイプの関係について、上下はつけられないとしながらも、実存の課題のほうが第一ではないか、と考えています。

でも、ぼくは思想としては両方とも大事で、上下はつけられないと考えています。それでもあえていうなら、実存の課題のほうが第一のものだと思います。自分という人間が、自分の抱える苦悩に直面しながらどう生きていくのかが、最初の思想の課題。その次に、自分だけでなくてみんなが幸せに生きるための社会的な条件をどうつくるかということが来る。ですから、思想の順番としては実存から社会に向かうのだと考えます。

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私も同じ意見です。「実存派」と「社会派」の2タイプが存在するという点も、実存の課題が第一のものだという点も、そのとおりだと思います。

(2) 「実存派」だった私が、「社会派」に対して抱いていた不信感

さてここで自分自身に目を転じてみると、ここ十数年の間、私は一貫して、「実存派」として生きてきました。これには、ざっくり言って、2つ理由があります。

ひとつは、大学生のころにわりと極端な「社会派」として生きていたところ、いろいろな壁にぶつかり、大げさにいえば挫折して転向した、ということです。

もうひとつは、大学卒業以後、今に至るまで、就職・結婚・子育てといった自分自身の人生や生活のイベントが盛りだくさんで、余裕がない、ということです。自分と家族のことは丁寧に取り組んでいきたいけれど、それでお腹いっぱいであって、社会にまで関心を持つと自分の生活が回らなくなりそう、と感じています。

こんな理由から「実存派」タイプだったためか、今から率直にふり返ると、長らく私は、「社会派」タイプのことを、わりと冷ややかに捉えていました。いってみれば、「アンチ社会派」です。この理由は、さきほどの2つの理由に対応して、2つあります。

ひとつめは、「よい社会」というものの評価基準に対する不信感です。

「社会派」タイプは「社会をよくする」ことや「よい社会」の実現を目指すわけですが、そこでは、なんらかの「よい社会」が前提とされています。その「よさ」は、人によって、「全人類の平等」だったり、「人類全体の富の総量」だったり、「持続可能な発展」だったり、「生物多様性」だったりするわけですが、そんなあらゆる「よさ」の基準について、私は、「それって本当に「よい社会」の「よさ」なのかな?」と感じていたのです。

この不信感は、たぶん、以前、自分が「社会派」だったときに絶対視していた「持続可能な社会」という「よさ」の基準が、実はそれほど絶対的なものではないことに気づいて愕然とした、という経験に由来します。

ふたつめは、「「社会派」タイプは、自分の実存の問題から逃げてるんじゃないの?」という、かなりうがった見方です。

私は今、自分以外の誰かのために仕事をしてお金をいただき、もともと他人だったひとりの女性とひとつ屋根の下で暮らし、数年前にはかけらすら存在しなかった子どもを育てながら、毎日を生きています。へんてこな書き方をしましたが、まあようするに、就職し、結婚し、子育てをする、という人生を送っているわけです。

こんな私の人生は、社会の側からみれば、全然特別ではありません。全世界という地理的に広い視野や、生命の歴史という時間軸を持ち出すまでもなく、どこにでもあるありふれた人生に過ぎません。

それでも、こんなありふれた生活を平穏無事に送っていくことは、私の側からみれば、けっこう大変な大事業です。鼻歌を歌いながら適当にやってればなんとかなるものではなく、日々、いろいろ考え、丁寧に慎重に判断し行動することが求められます。

だからこそ私は、「誰がアメリカ大統領になるか?」という問いよりも、「うちの子は保育園に入れるか?」とか、「昨夜機嫌を損ねた妻のご機嫌をとるにはどこのお菓子をおみやげに持ち帰るとよいか?」という問いに、より多くの資源を投入して取り組みます。

「社会派」の人からすれば、自分勝手で近視眼的な生き方のように見えるかもしれません。私が、子どもが保育園に入れないかもしれない、という不安を抱くのは、日本社会の構造的な問題であり、ひいては世界情勢ともつながっているのだから、自分の子どもが入園できるかどうかなんて小さな問題にこだわらずに、誰もが不安なく子育てできる社会を実現することに資源を費やすべきかもしれません。私が、妻の機嫌を損ねてしまうことには、現代社会における夫婦関係の問題が凝縮されているのだから、デパ地下でお菓子を物色している暇があれば、誰もが安心して他者との関係を取り結べる社会の構築のために活動すべきなのかもしれません。

でも、西研さんも指摘するように、どんな理想的な社会が実現しても、ひとりひとりの人間が解決すべき問題は残ります。子どもを保育園に預けるかどうかは、社会の子育てのしやすさの問題でもありますが、同時に、私たち家族がどんなふうに生きていきたいかの問題です。「社会派」タイプの「もちろん個々人の苦悩は大事だけれど、社会をよくするのが先ではないか」という思考に触れると、私はついつい、「この人は、自分の生き方の問題に向き合うことが嫌で、よい社会だの何だのかんだのという理念に逃げているんじゃないの?」みたいな感じてしまいます。大変うがった見方だとは思いますが。

2.社会の問題を考えていくための評価基準

そんなふうに長年「実存派」タイプ(というか、アンチ「社会派」タイプ)として生きていた私ですが、最近、社会に対する関心がむくむくと大きくなってきました。

きっかけはいくつかあります。その中で、このブログ記事のタイトルにもなっている『サピエンス全史』を読んだことは、かなり大きな要素です。いくぶんあらっぽい整理ですが、これまでにサピエンスが社会を構築してきたプロセスを概観することで、社会って面白いじゃないか、と思いました。

でも、私の中には、「社会派」に対する不信感があります。「よい社会」を考えていくための、社会のよさの評価基準については慎重でありたいですし、「よい社会」を考えることを自分自身の実存の問題から逃げる口実とするのは嫌だ、と強く思っています。

この折り合いをどうつけたらよいだろうか、ということをぼんやりと考えていたのですが、先日、次の文章を書いているときに、ちょっとした光が見えました。

[『サピエンス全史』を起点に考える]サピエンス全体に存在する協力の量と質は、どのように増えていくのか?

『サピエンス全史』が指摘するサピエンス成功のポイントは、厖大なサピエンス間の協力にあります。サピエンス全体に存在する協力の総量は、これまでに増えてきました。そして、おそらくこれからも増えていきます。

だとすれば、サピエンス全体に存在する協力の総量を、社会の「よさ」の評価基準にすればよいのではないか、というのが、今回思いついたことです。つまり、何らかの事象を評価する際、「それはサピエンス全体に存在する協力を増やすか?」という問いを立て、「増やす」なら積極方向、「増やさない」や「減らす」なら消極方向で評価する、ということです。

この評価基準を、今のところ、私はわりと気に入っています。まず、社会の「よさ」の評価基準として、ちゃんと機能します。また、自分の実存の問題から逃避する言い訳にもなりにくいように思います。それぞれについて考えたことは、以下のとおりです。

(1) 社会の「よさ」の評価基準として、ちゃんと機能する

2つの面があります。

ひとつは、この基準による積極方向・消極方向と、自分が漠然と描く「よい社会」とが、大筋で対応するんじゃないか、という点です。

抽象的に、サピエンス全体に存在する協力の総量が多い社会と少ない社会を考えたとしても、私が「よい社会」だと思うのは、前者の協力が多い社会です。もう少し具体的に、海外との貿易が大幅に制限されている社会と、海外との貿易が基本的には自由に行われている社会を比較すると、私が「よい社会」だと感じるのは後者の自由貿易の社会なのですが、これは、後者の方がサピエンス全体に存在する協力の総量が多い、ということと一致します。あるいは、「インターネットが誕生したことで社会は良くなったと思うか?」という問いに対して、私は「はい」と即答するのですが、この理由を、「インターネットはサピエンス全体に存在する協力の総量を増やしたから」というように、ここでの評価基準から説明できます。

もうひとつは、この基準が、どんな結論も恣意的に導ける基準ではない、という点です。

自分自身が腑に落ちる評価基準を考えていると、「言い方次第でどうにでも言えるよね」という基準になってしまうことが、多々あります。たとえば、「それは自然か?」とか、「それは人々が自分の持ち味を発揮することを促すか?」という基準が、この例です。いずれも、「アメリカに住む多くの人が暮らす生活の実情をみれば、メキシコとの国境に壁を作るのは自然だ」とか、「働きたい両親が子どもを保育園に預けることができれば、働きたい両親は自分の持ち味を発揮できるから、希望者全員が保育園に子どもを預けられるようにするべきだ」とか、いろいろもっともらしい言葉をつなげて、恣意的な結論を導くことができてしまいます。

これらと比較すると、「サピエンス全体に存在する協力の総量を増やすか?」は、(わりとなんとでも言える面ももちろんありますが、それでも、)いくつもの場面で、ちゃんとした評価基準として機能します。メキシコとの国境に壁を作ることは、サピエンス全体に存在する協力の総量を減らすことになりそうなので消極方向ですし、より多くの親が子どもを保育園に入れて働けるようにすることは、子育て中の親が仕事を通じて他のサピエンスたちと協力することを可能にしますので、積極方向です。

(2) 自分自身の実存の問題から逃げる口実になりにくい

「社会の問題を考えることは、自分自身の実存の問題から逃げる口実になってしまうのではないか?」ということとの関係でも、「サピエンス全体に存在する協力の総量を増やすか?」という基準は、わりとうまく機能します。

前提として、ややいい加減な議論ですが、自分自身の実存の問題とは、わりと多くが、サピエンスとの協力に関する問題なんじゃないかと思います。

複数の内定からどの進路を選択するかは、自分がこれからどのような経路で他のサピエンスと協力していくかの概要を決める選択です。子どもが嘘をついたとき、それに対してどんな方針で対応するかは、子どもが他のサピエンスとの間でどんなふうに協力していくかに関する教育でもあります。昔々の私にとっての大問題だった、あるひとりの女性にどうアプローチするかの問題は、どんな人と深くて強い協力関係を作っていきたいか、ということでもあります。次のノートパソコンとしてMacBook ProかChromebookかSurfaceかのどれを購入するか、という私の物欲の問題は、どんなサピエンスたちが協力した成果にお金を支払うかの問題であると同時に、どんなサピエンスのコミュニティに対して自分なりの協力を追加していくか、という選択です。私の頭では、どんな実存の問題を思い浮かべても、サピエンスとサピエンスの協力から独立した問題は見つかりませんでした。

そのようなわけで、ここでは、自分自身の実存の問題とは、自分を含むサピエンスの協力の問題である、と言い切ることにします。

自分自身の実存の問題がサピエンスの協力の問題なら、「それはサピエンス全体に存在する協力の総量を増やすか?」という基準は、「社会派」として社会を考えるための評価基準であると同時に、「実存派」として自分個人の生き方の問題を考えるための評価基準にもなります。そこで、両方に通じる基準なので、社会の問題を考えることで自分自身の個人的な問題から目をそらす、ということにはなりにくいんじゃないか、という気がするわけです。

もっとも、この点は、まだまだ考えが進んでいません。今後、具体的に考えていくべきテーマとして設定しておきます。

3.実存からは離れずに、社会を考える

社会の問題にあまり関心を持たないまま10年以上が過ぎた後であらためて社会の問題に関心を持ったからか、今、私は、社会の問題のことを、大変興味深く感じています。インターネットのこれからも、人工知能やロボットも、ブロックチェーンも、平均寿命の伸長も、格差とその解消も、ベーシックインカムも、どの問題にもワクワクする何かを感じます。

もっとも、あくまでも実存が第一ではないか、という点は動きません。

実存という足場から離れることなく社会の問題を考えていくため、「それはサピエンス全体に存在する協力の総量を増やすか?」という基準がうまく機能してくれることを期待しています。

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