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[『サピエンス全史』を読む]人類の統一って、なんだ?(第3部 人類の統一)

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『サピエンス全史』があまりに面白いので、じっくりと時間をかけて、丁寧に読んでいきます。

今回は、「第3部 人類の統一」を読んでいきます。

なお、引用はすべて『サピエンス全史 上下合本版』からで、location番号は同書のKindle本によっています。

1.「第3部 人類の統一」の概要と、今回の問い

(1) 「第3部 人類の統一」の概要

「第3部 人類の統一」の章立ては、こうなっています。

  • 第9章 統一へ向かう世界
  • 第10章 最強の征服者、貨幣
  • 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン
  • 第12章 宗教という超人間的秩序
  • 第13章 歴史の必然と謎めいた選択

時間軸では、紀元前1000年紀から紀元1000年紀あたりがメインです。

以下、各章の内容を見ていきます。

第9章 統一へ向かう世界

■ とどまるところを知らない文化の変化には、方向性がある

「文化」とは、厖大な数の見ず知らずの人どうしが効果的に協力するための、人工的な本能のネットワークです。

農業革命以降、人間社会はしだいに大きく複雑になり、社会秩序を維持している想像上の構造体も精巧になっていった。神話と虚構のおかげで、人々はほとんど誕生の瞬間から、特定の方法で考え、特定の標準に従って行動し、特定のものを望み、特定の規則を守ることを習慣づけられた。こうして彼らは人工的な本能を生み出し、そのおかげで厖大な数の見ず知らずの人どうしが効果的に協力できるようになった。この人工的な本能のネットワークのことを「文化」という。

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たとえば「伝統的な文化」など、文化というと、変わらずにあり続けるもの、というイメージが浮かぶこともあります。しかし、文化は、たえず変化しています。

どの文化にも典型的な信念や規範、価値観があるが、それらはたえず変化している。文化は環境の変化に対応して変わったり、近隣の文化との交流を通して変わったりする。さらに、自らの内的ダイナミクスのせいで変遷を経験することもある。生態学的に安定した環境に、完全に孤立して存在している文化でさえ、変化は免れない。矛盾とは無縁の物理学の法則とは違って、人間の手になる秩序はどれも、内部の矛盾に満ちあふれている。文化はたえず、そうした矛盾の折り合いをつけようとしており、この過程が変化に弾みをつける。

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では、この変化に方向性はあるのでしょうか。

「ある」と『サピエンス全史』は断言します。数千年というスパンで考えれば、人類が統一に向かって粛々と進み続けていることは明らかだというのです。

答えは、ある、だ。

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鳥の視点の代わりに、宇宙を飛ぶスパイ衛星の視点を採用したほうがいい。この視点からなら、数百年ではなく数千年が見渡せる。そのような視点に立てば、歴史は統一に向かって執拗に進み続けていることが歴然とする。

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■ サピエンスの統一を後押しする3つの要素

サピエンスの統一において重要なのは、イデオロギーです。あるときサピエンスは、サピエンスの全体に対して、誰もが「私たち」であると考えるようになりました。

とはいえ、イデオロギーの視点に立つと、これに輪をかけて重要な展開が見られたのは、紀元前一〇〇〇年紀で、この間に普遍的秩序という概念が根づいた。

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紀元前一〇〇〇年紀に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが三つ登場し、その信奉者たちは初めて、一組の法則に支配された単一の集団として全世界と全人類を想像することができた。誰もが「私たち」になった。いや、少なくともそうなる可能性があった。

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誰もが「私たち」という普遍的秩序をもたらしたのは、貨幣、帝国、普遍的宗教の3つです。貿易商人、征服者、預言者にとっては、サピエンスの世界はひとつだったのです。

真っ先に登場した普遍的秩序は経済的なもので、貨幣という秩序だった。第二の普遍的秩序は政治的なもので、帝国という秩序だった。第三の普遍的秩序は宗教的で、仏教やキリスト教、イスラム教といった普遍的宗教の秩序だった。

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貿易商人にとっては、全世界が単一の市場であり、全人類が潜在的な顧客だった。彼らは誰にでもどこにでも当てはまる経済的秩序を打ち立てようとした。征服者にとっては、全世界は単一の帝国であり、全人類は潜在的な臣民であり、預言者にとっては、全世界は単一の真理を内包しており、全人類は潜在的な信者だった。彼らも、誰にでもどこにでも当てはまる秩序を確立しようとしていた。

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第10章 最強の征服者、貨幣

■ 第1の普遍的秩序=貨幣

「第10章 最強の征服者、貨幣」は、最初に登場した普遍的秩序である貨幣を取り上げます。では、貨幣は、どのように誕生したのでしょうか。

貨幣誕生を準備したのは、物々交換と専門化です。

あるとき、サピエンスは、物々交換を始めました。

物々交換は、比較優位の原理により、サピエンスの専門化を推し進めます。

だが、都市や王国が台頭し、輸送インフラが充実すると、専門化の機会が生まれた。

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しかし、専門化が進むと、「専門家どうしの品物の交換を、どう管理すればよいのか?」という難問が生じます。

そのうえ、医師や法律家はもとより、専業のワイン醸造業者や陶工は、専門技能を磨き、全員の役に立てる。だが、専門化からは一つ問題が生じた。専門家どうしの品物の交換を、どう管理すればいいのか?

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貨幣は、この難問を解消するために、生まれました。

■ 貨幣の3つの機能

貨幣には、3つの機能があります。

ひとつめは、交換媒体です。富を何かと交換できます。

というわけで、貨幣は普遍的な交換媒体で、人はそれを使えばほぼ何であれ、別のほぼどんなものにも転換できる。

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ふたつめは、富を蓄積する手段です。

理想的な種類の貨幣は、人々があるものを別のものに転換することだけではなく、富を蓄えることも可能にする。

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そしてみっつめは、必要な場所に富を持ち運ぶことです。

富を使うためには、保存できるだけでは足りない。富はあちこちへ運ぶ必要があることが多い。

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■ 最も普遍的で効率的な相互信頼制度

貨幣を支えるのは、信頼です。貨幣は、これまで考案されたもののうちで、最も普遍的で最も効率的な相互信頼の制度です。

したがって、貨幣は相互信頼の制度であり、しかも、ただの相互信頼の制度ではない。これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。

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そんな貨幣に飛躍的発展が起こったのは、それ自体に価値はないが、保存したり運んだりするのが簡単なものを貨幣として信頼するようになったときでした。

貨幣の歴史における真の飛躍的発展が起こったのは、本質的価値は欠くものの、保存したり運んだりするのが簡単な貨幣を信頼するようになったときだ。

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この場合、貨幣の価値を支えているのは、貨幣に対する信頼だけです。貨幣は、完全な相互信頼制度となりました。

■ 貨幣による人類の統一

貨幣は、相互信頼の制度です。貨幣を媒介にして、サピエンスは互いに協力し合えるようになりました。これが、貨幣による人類の統一です。

貨幣は人類の寛容性の極みでもある。

貨幣は言語や国家の法律、文化の規準、宗教的信仰、社会習慣よりも心が広い。貨幣は人間が生み出した信頼制度のうち、ほぼどんな文化の間の溝をも埋め、宗教や性別、人種、年齢、性的指向に基づいて差別することのない唯一のものだ。

貨幣のおかげで、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも、効果的に協力できる。

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第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン

■ 第2の普遍的秩序=帝国

ふたつめの普遍的秩序は、帝国です。

『サピエンス全史』曰く、帝国は、2つの重要な特徴を持っています。

帝国とは、二つの重要な特徴を持った政治秩序のことをいう。

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それは、

  • 文化的多様性
  • 領土の柔軟性

です。

帝国と呼ばれるための第一の資格は、それぞれが異なる文化的アイデンティティと独自の領土を持った、いくつもの別個の民族を支配していることだ。

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第二に、帝国は変更可能な境界と潜在的に無尽の欲を特徴とする。帝国は、自らの基本的な構造もアイデンティティも変えることなく、次から次へと異国民や異国領を吞み込んで消化できる。

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この2つの特徴があるからこそ、帝国は、人類を統合する機能を持つのです。

文化的多様性と領土の柔軟性のおかげで、帝国は独特の特徴を持つばかりでなく、歴史の中で、自らの中心的役割も得る。帝国が多様な民族集団と生態圏を単一の政治的傘下に統一し、人類と地球のますます多くの部分を融合させられたのも、これら二つの特徴があればこそだ。

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■ 帝国が「彼ら」を「私たち」にする原理

帝国の原理は、帝国の外にいる「彼ら」を、「私たち」(か、少なくとも「私たち」になりうる者)として把握します。この心意気をもって、帝国は、帝国外の人々を征服していくのです。

「お前たちを征服するのは、お前たちのためなのだ」とペルシア人たちは言った。

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この帝国のビジョンが、古代帝国以後、ローマ帝国やムガル帝国、そしてソヴィエト連邦やアメリカ合衆国へと受け継がれています。

この新しい帝国のビジョンは、キュロスやペルシア人からアレクサンドロス大王へ、彼からヘレニズム時代の王やローマの皇帝、イスラム教国のカリフ、インドの君主、そして最終的にはソヴィエト連邦の首相やアメリカ合衆国の大統領へと受け継がれた。

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■ 新しいグローバル帝国

『サピエンス全史』は、現代の世界には、国家という枠組みを超えるグローバル帝国が誕生しつつある、と指摘します。

それは、多民族のエリート層によって支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっています。

私たちの眼前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されはしない。この帝国は後期のローマ帝国とよく似て、多民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。

世界中で、しだいに多くの起業家やエンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参加するようにという呼びかけを受けている。彼らはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続けるか、じっくり考えなければならない。だが、帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。

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第12章 宗教という超人間的秩序

■ 第3の普遍的秩序=普遍的宗教

みっつめの普遍的秩序は、普遍的宗教です。

今日、宗教は差別や意見の相違、不統一の根源と見なされることが多い。だがじつは、貨幣や帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する三つの要素の一つだったのだ。

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『サピエンス全史』は、宗教を、「超人間的な秩序の信仰に基づく、人間の規範と価値観の制度」と定義します。

したがって宗教は、超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度と定義できる。

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つまり、

  • 宗教は、超人間的な秩序の存在を主張する
  • 宗教は、超人間的秩序に基いて秩序や価値観を確立し、それには拘束力があるとみなす

の2点です。

1 宗教は、超人間的な秩序の存在を主張する。その秩序は人間の気まぐれや合意の産物ではない。

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2 宗教は、超人間的秩序に基づいて規範や価値観を確立し、それには拘束力があると見なす。

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しかし、ここで普遍的秩序だとされているのは、単なる宗教ではなく、普遍的宗教です。それは、上の2つの特徴を備える秩序に、さらに2つの特徴を追加したものです。

本質的に異なる人間集団が暮らす広大な領域を傘下に統一するためには、宗教はさらに二つの特性を備えていなくてはならない。

第一に、いつでもどこでも正しい普遍的な超人間的秩序を信奉している必要がある。

第二に、この信念をすべての人に広めることをあくまで求めなければならない。

言い換えれば、宗教は普遍的であると同時に、宣教を行なうことも求められるのだ。

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■ 一神教と仏教

そんな普遍的宗教の例として、『サピエンス全史』が挙げるのは、一神教と仏教です。

一神教の例は、キリスト教とイスラム教です。いずれも、普遍的秩序を持ち、一生懸命宣教に取り組みます。

パウロの主張は大きな実を結んだ。キリスト教徒は全人類に向けた、広範な宣教活動を組織し始めた。歴史上屈指の不思議な展開によって、このユダヤ教の小さな宗派は、強大なローマ帝国を支配することとなった。

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キリスト教の成功は、七世紀にアラビア半島に出現した別の一神教、すなわちイスラム教のお手本となった。

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これに対して、仏教は、苦しみから逃れるための法則です。仏教も、この法則を普遍的秩序だと主張し、熱意を持って宣教します。

彼は自分の教えをたった一つの法則に要約した。

苦しみは渇愛から生まれるので、苦しみから完全に解放される唯一の道は、渇愛から完全に解放されることで、渇愛から解放される唯一の道は、心を鍛えて現実をあるがままに経験することである、というのがその法則だ。

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このように、一神教と仏教は異なる原理を持ちますが、いずれも、サピエンス統一を推し進めた普遍的宗教です。

一神教の第一原理は、「神は存在する。神は私に何を欲するのか?」だ。

それに対して、仏教の第一原理は、「苦しみは存在する。それからどう逃れるか?」だ。

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■ 人間至上主義の宗教

さらに、『サピエンス全史』は、人間至上主義の宗教を指摘します。

人間至上主義の宗教は、人類を、より正確にはホモ・サピエンスを崇拝する。ホモ・サピエンスは独特で神聖な性質を持っており、その性質は他のあらゆる動物や他のあらゆる現象の性質と根本的に違う、というのが人間至上主義の信念だ。人間至上主義者は、ホモ・サピエンスの独特の性質は世界で最も重要なものと考えており、その性質が宇宙で起こるいっさいのことの意味を決める。至高の善はホモ・サピエンスの善だ。世界の残りと他のあらゆるものは、この種に資するためにのみ存在する。

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人間至上主義は、崇拝する人間性の定義に関して、3つに別れます。

  • 自由主義の人間至上主義
  • 社会主義の人間至上主義
  • 進化論的な人間至上主義

今日、最も重要な人間至上主義の宗派は自由主義の人間至上主義で、この宗派は、「人間性」とは個々の人間の特性であり、したがって個人の自由はこの上なく神聖であると信じている。

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社会主義的な人間至上主義という重要な宗派もある。社会主義者は、「人間性」は個人的ではなく集合的なものだと信じている。彼らは、各個人の内なる声ではなく、ホモ・サピエンスという種全体を神聖なものと考える。

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従来の一神教と現に縁を切った唯一の人間至上主義の宗派は、進化論的な人間至上主義で、その最も有名な代表がナチスだ。

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これらの人間至上主義は、今も、サピエンスを統一し続けているのです。

第13章 歴史の必然と謎めいた選択

■ 歴史の必然とは何か?

「第13章 歴史の必然と謎めいた選択」は、他の章とは少し色合いが違います。ここで検討されているのは、

  • 歴史の必然とは何か?
  • 歴史が予想できないのだとすれば、歴史を学ぶ意味はどこにあるのか?

といった問いです。

■ 歴史は予想できない

第1に、歴史は予想できません。後からふり返れば必然に思えることであっても、その当時からすれば、およそ明確ではないのです。歴史は、どの時点をとっても、分岐点になっています。

歴史はどの時点をとっても、分岐点になっている。過去から現在へは一本だけ歴史のたどってきた道があるが、そこからは無数の道が枝分かれし、未来へと続いている。それらの道のうちには、幅が広く、滑らかで、はっきりしており、したがって進みやすいものもあるが、歴史(あるいは歴史を作る人々)はときに、予想外の方向に折れることもある。

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後から振り返って必然に思えることも、当時はおよそ明確ではなかったというのが歴史の鉄則だ。

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歴史を研究しても未来を予想できないなら、歴史を研究することに、どのような意味があるのでしょうか?

『サピエンス全史』は、次のように答えます。

それでは私たちはなぜ歴史を研究するのか?

物理学や経済学とは違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。

歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。

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■ 歴史は人間のために進むわけではない

さらに、『サピエンス全史』は、少し別の観点から、もうひとつ重要なことを指摘します。

それは、「歴史の選択は人間の利益のためになされるわけではない」ということです。

私たちには歴史が行なう選択は説明できないが、そうした選択について、一つ重要なことが言える。

それは、歴史の選択は人間の利益のためになされるわけではない、ということだ。

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歴史は変化し続けます。この変化は、決して、人類の境遇を向上させることに向かっているわけではありません。歴史には、人類の統一に向かう、という明確な方向があります。しかし、この方向は、人類の輝かしき未来に向かっているとは限らないのです。

ゲーム理論だろうが、ポストモダニズムだろうが、ミーム学だろうが、何と呼ぼうと、歴史のダイナミクスは人類の境遇を向上させることに向けられてはいない。歴史の中で輝かしい成功を収めた文化がどれもホモ・サピエンスにとって最善のものだったと考える根拠はない。進化と同じで、歴史は個々の生き物の幸福には無頓着だ。そして個々の人間のほうもたいてい、あまりに無知で弱いため、歴史の流れに影響を与えて自分に有利になるようにすることはできない。

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(2) 今回の問い

今回の問いは、自分が「第3部 人類の統一」を読みながら感じた素朴な疑問にしました。

人類の統一って、なんだ?

です。

2.『サピエンス全史』の回答

(1) 人類の統一の原理:「彼ら」ではなく「私たち」

人類の統一とは一体何なのか、ということについては、「彼ら」と「私たち」という説明がわかりやすいです。

認知革命の前の長い時間、サピエンスは、サピエンス全体を「私たち」と「彼ら」に二分して捉える存在として、進化してきました。

  • 「私たち」=すぐ身の回りにいる人の集団
  • 「彼ら」=それ以外の人全員

です。

ホモ・サピエンスは、人々は「私たち」と「彼ら」の二つに分けられると考えるように進化した。「私たち」というのは、自分が何者であれ、すぐ身の回りにいる人の集団で、「彼ら」はそれ以外の人全員を指した。

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認知革命後、少しずつ、この二分法が曖昧になってきました。見ず知らずの人と日頃から協力し合うことがでてきたためです。しかし、そうはいっても、紀元前1000年紀よりも前には、依然として、この二分法は力を持っていました。たとえば、紀元前3000年ころにエジプトを統一したファラオは、エジプト人と野蛮人をはっきりと区別しています。

だが認知革命を境に、ホモ・サピエンスはこの点でしだいに例外的な存在になっていった。人々は、見ず知らずの人と日頃から協力し始めた。

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最古のファラオであるメネスが紀元前三〇〇〇年ごろにエジプトを統一したとき、エジプトには国境があって、その向こうには「野蛮人」が潜んでいることは、エジプト人たちには明らかだった。野蛮人はよそ者で、脅威であり、エジプト人が望んでいる土地あるいは天然資源をどれだけ持っているかに応じてのみ、関心を惹いた。人々が生み出した想像上の秩序はすべて、人類のかなりの部分を無視する傾向にあった。

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これに対して、紀元前1000年紀に登場した普遍的秩序は、単一の集団としての全人類を想像する道を開きました。サピエンスは、サピエンス全体を「私たち」と認識できるようになったのです。

紀元前一〇〇〇年紀に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが三つ登場し、その信奉者たちは初めて、一組の法則に支配された単一の集団として全世界と全人類を想像することができた。誰もが「私たち」になった。いや、少なくともそうなる可能性があった。

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「私たち」vs「彼ら」の二分法から、ひとつの「私たち」へ。これが、人類の統一です。

(2) 3つの普遍的秩序から見る、人類の統一

人類の統一をもたらした3つの普遍的秩序それぞれから人類の統一を見てみると、人類の統一が意味するものが、もっとくっきりするはずです。

a.貨幣

『サピエンス全史』は、貨幣を、相互信頼の制度だといいます。貨幣が機能するのは、

  • 隣人たちが貨幣を信頼しているから、私は貨幣を信頼する。
  • 私が貨幣を信頼しているから、隣人たちは貨幣を信頼する。

という相互信頼のメカニズムがあるためです。

なぜ私はタカラガイの貝殻や金貨やドル紙幣を信頼するのか?

なぜなら、隣人たちがみな、それを信頼しているから。

そして、隣人たちが信頼しているのは、私がそれを信頼しているからだ。

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貨幣という相互信頼制度は、寛容です。ひとたびこの相互信頼制度が動き出せば、軽蔑している隣人とでも、決して同意しあえない論点を持つ隣人とでも、貨幣に対する信頼の点では、同意できます。

同様に、誰かがタカラガイの貝殻やドル、あるいは電子データを信頼していれば、たとえ私たちがその人を憎んでいようと、軽蔑していようと、馬鹿にしていようと、それらに対する私たちの信頼も強まる。宗教的信仰に関して同意できないキリスト教徒とイスラム教徒も、貨幣に対する信頼に関しては同意できる。

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これが、「他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求める」という相互信頼制度の強みです。

なぜなら、宗教は特定のものを信じるように求めるが、貨幣は他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求めるからだ。

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貨幣による人類の統一は、たとえ複数の貨幣が併存していても、何ら妨げられません。たとえ私が隣人の貨幣に価値を感じられなくても、隣人がその貨幣に価値を感じていることを私が信じることさえできるのであれば、私はその隣人の貨幣を信じることができるからです。

貨幣による人類の統一は、全人類が貨幣というひとつの秩序を共通に信じることで実現しています。ここで大切なのは、この共通信念を持つために、上位に存在する絶対的な規範のようなものを前提としなくてもよい、ということです。

ある人が貨幣を信頼するのは、その人と同じ高さにいる無数の隣人が、同じく貨幣を信頼しているからです。神や法則のような上位に存在する絶対的な何かが貨幣の価値を保障しているから、ではありません。

上位の何かを前提としなくても、「他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求める」という相互信頼の制度だけで、サピエンスは、全サピエンスを「私たち」と認識しうるのです。

貨幣からわかるもうひとつのことは、人類の統一とは、平等だとも公正だとも博愛だとも限らない、ということです。持てるものと持たざるものの格差が生じるかもしれませんし、相互信頼制度を攻撃する不正もありうるでしょうし、隣人に対する軽蔑や敵意も消えません。人類の統一は、サピエンスが全サピエンスを「私たち」と認識することではあるものの、全サピエンスを「助け合うべき私たちの仲間」と認識することではありません。

b.帝国

帝国も、人類の統一を進めた存在です。

帝国の特徴は、文化的多様性と領土の柔軟性でした。

文化的多様性と領土の柔軟性のおかげで、帝国は独特の特徴を持つばかりでなく、歴史の中で、自らの中心的役割も得る。帝国が多様な民族集団と生態圏を単一の政治的傘下に統一し、人類と地球のますます多くの部分を融合させられたのも、これら二つの特徴があればこそだ。

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帝国は、他国を侵略し、領土を拡大します。

そして帝国は、侵略した他国を支配し、自らに取り込みます。侵略した他国には帝国にもともとあった文化とは異なる文化があるでしょうけれども、この他の文化を自らの文化の取り入れるわけです。だからこそ、帝国は、常に文化的多様性を抱えています。

帝国による人類の統一からも、人類の統一が、侵略や支配を排除しない概念であることがわかります。

と同時に、侵略や支配は、全サピエンスを「私たち」だと認識しているからこそ、促されるものであることがわかります。犬や猿や雉を侵略して支配しようとは、帝国であっても、思いません。

c.普遍的宗教

今、力を持っている普遍的宗教は、人間至上主義の宗教です。この宗教は、ホモ・サピエンスを崇拝し、ホモ・サピエンスの善を至高の善とします。

人間至上主義の宗教は、人類を、より正確にはホモ・サピエンスを崇拝する。ホモ・サピエンスは独特で神聖な性質を持っており、その性質は他のあらゆる動物や他のあらゆる現象の性質と根本的に違う、というのが人間至上主義の信念だ。人間至上主義者は、ホモ・サピエンスの独特の性質は世界で最も重要なものと考えており、その性質が宇宙で起こるいっさいのことの意味を決める。至高の善はホモ・サピエンスの善だ。世界の残りと他のあらゆるものは、この種に資するためにのみ存在する。

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人間至上主義の宗教には、3つの宗派があります。

すべての人間至上主義者は人間性を崇拝するが、人間性の定義に関しては意見が分かれている。人間至上主義は、三つの競合する宗派に分かれ、「人間性」の厳密な定義をめぐって争っている。

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  • 自由主義
  • 社会主義
  • 進化主義

です。

自由主義と社会主義は、ひとりのサピエンスを特別な単位と捉えた上で、異なった原理を善として信仰します。自由主義は自由、社会主義は平等です。

これに対して、進化主義はサピエンスという種を単位として捉えています。(ひとりひとりのサピエンスではなく、)サピエンスという種の進化こそが善である、という信仰です。

人間至上主義の宗教からわかるのは、人類の統一が人類の統一だということ、つまり、サピエンスではない存在が「私たち」となることはない、ということです。サピエンスではない生き物、人工知能などの非生命が「私たち」となることは、人間至上主義の宗教によっては、実現しません。

今後は、「私たち」がサピエンスの枠を超えて広がっていくのだろうか、ということも、大きなテーマとなりそうです(なお、『サピエンス全史』の「第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ」は、この問題の一部分を論じています)。

(3) 人類の統一の到達点としてのグローバル帝国

現在、人類の統一は、どこまで進んでいるのでしょうか。『サピエンス全史』は、グローバル帝国の出現を指摘します。

これまでの帝国は、国家単位でした。しかし、現代の世界では、国家という単位が機能する範囲が少なくなっています。

思想のレベルでは、多くの人は、特定の民族や国籍ではなく、全人類こそが権力の正当な源泉である、と考えるようになっています。人類の統一の流れに沿った思想の変化です。

二一世紀が進むにつれ、国民主義は急速に衰えている。しだいに多くの人が、特定の民族や国籍の人ではなく全人類が政治的権力の正当な源泉であると信じ、人権を擁護して全人類の利益を守ることが政治の指針であるべきだと考えるようになってきている。だとすれば、二〇〇近い独立国があるというのは、その邪魔にこそなれ、助けにはならない。

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具体的な問題との関係でも、国家単位での意思形成だけではどうにもならない問題が増えています。地球環境問題はその一例です。

氷冠の融解のような、本質的にグローバルな問題が出現したために、独立した国民国家に残された正当性も、少しずつ失われつつある。

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このように、今、国家は、急速にその独立性を失っています。

国家はグローバル市場の思惑や、グローバルな企業やNGO(非政府機関)の干渉、グローバルな世論や国際司法制度の影響をますます受けやすくなっている。国家は、金融面での行動や環境政策、正義に関する国際基準に従うことを余儀なくされている。資本と労働力と情報の途方もなく強力な潮流が、世界を動かし、形作っており、国家の境界や意見はしだいに顧みられなくなっている。

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では、国家でないとすれば、何がサピエンスの歴史を動かしているのでしょうか。

『サピエンス全史』は、「資本と労働力と情報の途方もなく強力な潮流」だと指摘します。これが、同書のいう「グローバル帝国」です。

資本と労働力と情報の途方もなく強力な潮流が、世界を動かし、形作っており、国家の境界や意見はしだいに顧みられなくなっている。

location 3754

私たちの眼前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されはしない。この帝国は後期のローマ帝国とよく似て、多民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。

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今、世界中のエリート層が、国籍を置く国家ではなく、このグローバル帝国に参加しつつある、ということです。

世界中で、しだいに多くの起業家やエンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参加するようにという呼びかけを受けている。彼らはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続けるか、じっくり考えなければならない。だが、帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。

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3.つらつら思索

(1) グローバル帝国の呼びかけとは? 何をすれば応じたことになる?

「第3部 人類の統一」に登場する「グローバル帝国」は、『サピエンス全史』全体の中で、私がもっともピンとこなかったところでした。イメージは伝わってきます。でも、具体的に考えると、ちんぷんかんぷんです。

たとえば、次のような一節があります。

この帝国は後期のローマ帝国とよく似て、多民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている

世界中で、しだいに多くの起業家やエンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参加するようにという呼びかけを受けている。彼らはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続けるか、じっくり考えなければならない。

だが、帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。

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(強調は彩郎です。)

私がわからなかったのは、ここでいう

  • 多民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている
  • この帝国に参加するようにという呼びかけを受けている
  • 帝国を選ぶ

などの記載が、具体的に、どんなことを意味しているのか、ということです。

でも、これはけっこう重要な気がします。だから、ひとつずつ考えてみます。

「多民族のエリート層」とは、帝国からの呼びかけを受けている起業家やエンジニア、専門家、学者、法律家、管理者を意味するのではないかと思われます。具体例を思い浮かべてみると、

  • 起業家は、ザッカーバーグとかイーロン・マスクとかでしょうか。
  • エンジニアは、たとえば、ビットコイン論文のナカモトサトシ氏とかかなあ。
  • 専門家・学者・法律家は、具体的な名前は思い浮かびませんが、国家の枠組みを超えた理論や制度を構想しているいろいろな分野の研究者の方々、でしょうか。iPS細胞の山中伸弥さんとかもここに入るのかな。ノーベル賞受賞者は、たいてい含まれそうな気がします。
  • 管理者は、何だろう。マネージャーの訳語だとすると、企業の経営陣とかでしょうか。

これら多民族のエリート層は、グローバル帝国を「支配」しています。でも、「支配」といっても、グローバル帝国は国家権力ではありません。国家権力を牛耳って徴税したり刑罰を加えたり、というわけではないわけです。だとしたら、「支配」って、何でしょうか。サピエンスの暮らしに影響を与える、ということかなあ。たとえば、

  • ザッカーバーグはFacebookを使う世界を実現し、イーロン・マスクは人々が電気自動車や宇宙旅行を楽しむ世界を実現するかもしれない。
  • ナカモトサトシ氏はビットコインを生み出し、ブロックチェーンを通じてフィンテック革命をもたらした。
  • ノーベル賞を受賞するような専門家は、それぞれの研究成果で、人々の暮らしに影響を与えている。
  • トヨタとかGoogleとかAmazonの経営陣は、新しい製品やサービスを形にして提供することによって、サピエンスの暮らしに影響を与える。

といったことでしょうか。

これらのエリート層には、「共通の文化と共通の利益」があるそうです。

「共通の文化」は、

  • 自由を重視する
  • 多様性を尊重する
  • 変化を受け入れる
  • 科学と技術を肯定的に捉える
  • 資本主義を前提とする

などかなあ。

「共通の利益」は、経済的利益に限られないでしょうが、経済的利益を排除するというわけでもないでしょう。他方で、公権力を握っているわけではないため、権力の集中という利益ではなさそうな気がします。よくわかりません。

「(グローバル)帝国を選ぶ」は、どういうことでしょうか。対義語は、「それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続ける」ですので、自分の国家と民族に忠誠を尽くすのではなく、グローバル帝国という視点で考える、という感じかな。

たとえばイーロン・マスクは南アフリカ共和国出身だということですが、彼は南アフリカ共和国の利益を気にしていないように見えます。また、ナカモトサトシ氏はおそらくアメリカ在住だそうですが、アメリカという国家から、貨幣を解放してしまうかもしれません。

ざっくりいえば、国家という単位を特別な単位だとは考えずに、物事を考えたり判断したりする、ということなのではないかと思います。場所の単位は階層的なのですが、少し前までの社会は、国という単位を特別な単位として扱っていました。でも、グローバル帝国を選ぶサピエンスたちは、国という単位を、国ではない他の単位(たとえば、行政区画、都市圏、州、(アジアなどの)地域、全世界)よりも特別な単位だとは考えません。

ここまで考えて、自分を省みると、まだ自分は、そこまで国家を相対化できていなかったなあ、と気づきました。たとえば、東京とニューヨークを比較する言説の中で、東京の方が優れている要素の説明があると、なんとなくうれしくなります。また、将来の暮らしをなんとなく想像するときに、東京や京都に暮らすことはあり得るのかなあとは思っているのですが、ロンドンや上海に住んでいる可能性はほぼ考えていません。

日本語という言語の壁は大きいんだろうなとは思いますが、グローバル帝国からの呼びかけに応じる生き方にも興味があるところです。可能性に対して自分を開いておかなくちゃな、と思いました。

(2) 変わり続けながら、統一に向かうことと、全体としての変化力

『サピエンス全史』全体から伝わるのは、サピエンスは、変わり続けている、ということです。これまでも変わり続けてきましたが、今後も、変わり続けます。そして、今後の変化は、これまでよりも加速しています。

他方で、「第3部 人類の統一」によれば、サピエンスの歴史には、統一に向かうという大きな流れがあります。歴史の必然として、サピエンスは全体としてひとつに収斂するのです。

この両者の関係を、どう考えたらよいでしょうか。

両者は矛盾せず、サピエンスは、全体としてひとつの変化し続けるものになる、というのが、今のところの考えです。

すごく図式的なのですが、これまでとこれからのサピエンスの歴史を、集団の数と変化の度合い(変化力)で表してみると、こんなイメージではないかと思います。

  • 紀元前1000年紀よりも前
    • サピエンスの集団の数は、100個
    • それぞれの集団の変化力は、1
    • よって、サピエンス全体の変化力は、100
  • 紀元前1000年紀~科学革命のころ
    • サピエンスの集団の数は、10個
    • それぞれの集団の変化力は、100
    • よって、サピエンス全体の変化力は、1000
  • 現代~
    • サピエンスの集団の数は、1個
    • それぞれの集団(1個だけだけど)の変化力は、10000
    • よって、サピエンス全体の変化力は、10000

人類は統一に向かっていますので、集団の数は減ります。でも、集団内部の変化力は、集団が大きくなればなるほど、増えます。集団内部の変化力の増加割合は、集団の数が減る割合を上回ります。だから、サピエンス全体としての変化力は、増えます。

もうちょっと考えてみます。

今後、もし、この統一の流れが、サピエンスの枠を超えたら、どうなるのでしょうか。

今、サピエンスは、この世界に存在する諸々に対して、サピエンスを「私たち」、非サピエンスを「彼ら」と認識しています。この世界に存在する諸々を集団の数で捉えると、サピエンスは1個の集団だけれど、非サピエンスの集団が無数にあるため、集団の数は膨大です。

今後、統一の流れがサピエンスの枠を超え、サピエンスと非サピエンスが、全体として「私たち」になったとしたら、どうでしょう。

変化力は、異次元に大きくなるんじゃないかと思います。

完全に妄想ですが、

  • 動物を取り込んだら?
    • サピエンス+動物全体として、もっと変化する。
  • 生態系を取り込んだら?
    • サピエンス+生態系として、もっと変化する。
  • AIを取り込んだら?
    • サピエンス+AI全体として、もっと変化する。

みたいな感じです。

特に、AIは、サピエンスとは異なった方法で物事を認識し、思考するのではないかと思いますので、AIを取り込んだ全体となれば、全体としての変化は、想像を絶するものになるような気がします。

(3) 主体の単位(個人・分人・ネットワーク)

「人類の統一」ということを考えるには、統一に向かう主体の単位をどのように捉えるか、が前提となるように思います。

今の私は、主体の単位を、ひとりひとりのサピエンスに置くことを、無意識に当然だと考えています。つまり、田中さんとニックさんと李さんとジェインさんとナッシュさんが、お互いを「私たち」と認識し合うことが、サピエンスの統一だと捉えている、ということです。

でも、主体の単位を個々のサピエンスに置くのは、必然ではありません。

たとえば、進化主義の人間至上主義は、サピエンスの進化を善だと考えるのですが、ここでいうサピエンスとは、おそらく、種としてのサピエンスです。だから、個々のサピエンスを単位としていません。また、国家と国家、企業と企業の関係も、それらに属するサピエンス個人ではなく、国家や企業というサピエンスの集団を単位として捉えているように思います。

逆に、個人よりも細かい単位もあり得ます。個人を「分人」の束だと考える分人論(平野啓一郎さん)における分人、生物を遺伝子の乗り物だと考える利己的な遺伝子論(ドーキンス)における遺伝子、ここから派生したミーム学におけるミームなどが、個人よりも細かい単位です。

このように、人類の統一は、ひとりひとりのサピエンスよりも大きな単位や小さな単位を前提として考えることもできるように思います。

ためしに、「分人」単位でサピエンスの統一を考えてみると、

  • 分人論は、個人を分人の集合体として把握する。
    • 様々な分人がネットワーク化されたものが、個人
  • 分人単位のサピエンス統一とは、全サピエンスの分人が「私たち」になること
    • 世界中に存在するあらゆる分人が、どの個人を構成するネットワークにも参加しうる、という状態

という感じでしょうか。

統一されたサピエンス全体を、膨大な個人がネットワークされたものとして認識するのではなく、膨大な分人がネットワークされたものとして認識する、ということかな。まだ見えてきませんが、なんとなくそんなイメージに辿りつきました。

■関連■

『サピエンス全史』

第1部 認知革命 サピエンスの強みはどこにあるのか?

第2部 農業革命 サピエンスの協力ネットワークが機能する背後には、どんな仕組みがあるのか?

『サピエンス全史』からブロックチェーンへ

分人論

ウェブ上の「分人」を生きる(普通の個人が、ブログのある毎日を送り続ける、ということ)

「分人」と「個人」の線の引き方

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