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「個人の継続的な知的生産」と、「全体・一部分」&「それより上の階層がない・それより上の階層がある」

公開日: : 最終更新日:2016/05/05 WorkFlowy, 知的生産

1.はじめに

先日、これを書きました。

全体と一部分(それより上の階層がない・それより上の階層がある)

WorkFlowy基本5原則の【第2原則】「「アウトライン」という全体から、目的に応じた一部分を切り出す」からスタートし、「全体と一部分の関係は、上の階層がないか・あるか、から派生しているのではないか」ということに至るまでの思考を書いたものです。

こんな抽象的なことを考えた動機は、「個人の継続的な知的生産」というものを考える上で、この全体と一部分の関係が、大きなヒントを与えてくれるのではないか、ということです。

そこで、次はこのあたりのことを書いてみます。

2.個人の継続的な知的生産のあり方

(1) 個人の継続的な知的生産

以前から、私は、「個人の継続的な知的生産」ということに関心を持ち続けています。

ここで「個人の」と書いたのは、主に、「組織の一員としてではない」という意味です。「知的生産そのものを本業としているわけではない者として」というニュアンスも含めています。「プロの研究者としてではなく、アマチュアの個人として」という感じでしょうか。知的生産は、私にとって大切なことです。でも、私は知的生産そのものを本業とするプロの研究者であはりません。だから、私が関心を持つ知的生産は、「個人の」知的生産です。

また、ここで「継続的な」と書いたのは、「単発ではない」という意味です。それから、「ある程度一貫したテーマを持って」という意味です。ふと思いついたことをひとつの文章にするだけでなく、自分にとって大切なテーマを持ち続け、そのテーマについての一連の文章群を書き続ける、ということをイメージしています。

それから、「知的生産」とは、要するに、文章を書き上げて公開することです。新しい情報を生み出すこと全般が知的生産であり、情報というのは幅広いものなので、知的生産にもいろいろあります。でも、私にできる&私がやりたい知的生産は、文章を書くことです。

つまり、「個人の継続的な知的生産」とは、「プロの研究者ではない個人が、仕事としてではなく、でも、何らかのテーマを持ち、一連の文章群を書き上げ、公開することを続ける」ということです。

(2) 個人の継続的な知的生産につきまとう制約

この「個人の継続的な知的生産」には、大きな制約がつきまといます。

担い手である個人は知的生産そのものを本業としているわけではありませんので、ここだけに自分の手持ち資源をすべて注ぎこむわけにはいきません。時間、お金、空間などは限られています。

でありながら、テーマを持ち続け、そのテーマについての一連の文章群を書き続け、公開し続ける、という持久力が期待されます。このためには、それなりの時間、それなりのお金、それなりの空間が必要です。

ですから、時間の点でも、お金の点でも、空間の点でも、個人の継続的な知的生産は、制約を受けています。

たとえば、今の私のことを考えてみると、「WorkFlowy」というテーマを大切にしています。このテーマのことをいろいろと考え、たくさんの文章を書き、公開することを続けたいと思っています。私は、「WorkFlowy」というテーマをめぐる知的生産を、意義あることだと考えています。勝手な使命感です。

だから、「WorkFlowy」についての知的生産を重視したいと思っているのですが、必ずしも思い通りにはいきません。仕事もありますし、家事や育児もあります。限られた1日24時間のうち、「WorkFlowy」の研究に費やせる時間は、数時間です。お金も限られていますので、関連しそうな本をどんどん買うわけにもいきません。

これだけをしていたい、と思う瞬間もあります。考えたり文章を書くことが興に乗ってきた瞬間には、仕事も家事も子育てもしないで、もっといえば、食事も買い物も最小限にして、WorkFlowyのことを考えたり書いたりすることだけをしていたくなるわけです。「そうすれば、もっと面白い考えがまとまるのに。WorkFlowyの魅力をもっとわかりやすく伝えられる文章を書くことができるのに。『WorkFlowy大全』とかだって書くのに!」という思いが浮かんできます。

でも、そういうわけにはいきません。私は、WorkFlowyのプチ研究者や勝手エバンジェリストであるのと同時に、というか、それ以前に、父であり、夫であり、組織に属して働く者です。時間も、お金も、空間も、「WorkFlowy」だけに無尽蔵に注ぎこむことはできませんし、そもそも私はそういう生き方を望んでいません。結果として、私による「WorkFlowy」についての知的生産は、私という個人に許された時間・お金・制約の範囲内で、ゆっくりぼちぼちと進みます。

「個人の継続的な知的生産」は、その人が実際に生きる毎日の生活の一部分に過ぎません。「個人の継続的な知的生産」は、そんな毎日の生活から制約を受けています。これが、「個人の継続的な知的生産」につきまとう、時間・お金・空間といった制約です。

(3) 制約は、解消されるべきものなのか?

では、この制約は、解消されるべきものなのでしょうか。仮に、大切なテーマと出会えたのなら、できるだけ時間とお金と空間の制約を排除して、自分の生活をできるだけその知的生産に集中する方がよいのでしょうか。

そんなふうに思う瞬間は、たしかにあります。また、そんなふうに思える瞬間が訪れるほどのテーマと出会えたなら、それは多分すごく運がよくてありがたいことです。でも、一歩引いて落ち着いて考えてみれば、仮に、自分を賭けるべきテーマと出会えたとしても、これらの制約を排除するのは、そのテーマの知的生産にとっても、プラスには働きません。制約を排除し、そのテーマに役立つものだけに自分の生活を限定することが、かえってそのテーマの知的生産をやせ細らせる気がするためです。

たとえば、私にとっては、「WorkFlowy」がそんな大切なテーマなのでした。私は、幸運なことに、この「WorkFlowy」というテーマを、自分を賭けて取り組むべきと感じています。

他方で、私にとって、「WorkFlowy」というテーマは、仕事ではありませんし、唯一の趣味でもありません。また、私は父でもあり夫でもあるので、子育てや家事も大切です。ということで、私による「WorkFlowy」についての知的生産は、諸々による制約を受けています。

だから、私はときどき、「WorkFlowy」だけに集中していられたら、と夢想していました。

たとえば、大学の講義を準備したり、セミナーの資料を作ったり、報告書を作るためのインタビューをしたり、出張で新幹線に乗って長距離を移動したりしているとき。たとえば、子どもと一緒に公園で「塔の上のラプンツェル」ごっこをして遊んだり、布団に入った子どもを寝かしつけるため、遠い記憶をたどって「花さか爺さん」をお話したりしているとき。たとえば、突然ぽっかりと与えられた1時間の空白時間、ふと目を上げた本棚に『ねじまき鳥クロニクル』を見つけて、気づくと次の予定が始まる時間になっていたとき。こんなとき、私はときどき、「もし、この時間をWorkFlowyに注いでいたら、その分、WorkFlowyについての知的生産を前に進めることができたんじゃないか」と思い、「WorkFlowyに集中していればよかったなあ」と夢想していたのです。

が、しかし、です。もし仮に、これら仕事も家事も子育ても趣味も全部排除して、「WorkFlowy」についての知的生産だけに自分の全資源を集中していたとしたら、きっと、私による「WorkFlowy」についての知的生産は、今よりも、ずっとずっとやせ細った貧しいものになっていたんじゃないか、という気がします。「WorkFlowy」とは全然関係がない経験が、結果として、私による「WorkFlowy」についての知的生産を、ずいぶんと豊かにしてくれたからです。

たとえば、大学の講義で文章の書き方や項目番号について説明したことや、1時間のセミナーを組み立てたこと。たとえば、子どもと一緒に暗記するほど「アナと雪の女王」をくり返し見たことや、成長し続ける子どもの変化を見守っていること。たとえば、『ねじまき鳥クロニクル』の赤坂シナモンに好感を持つこと。これらはすべて、「WorkFlowy」とはあまり関係がないように思えますし、「WorkFlowy」の知的生産のために役に立つようにも見えません。でも、これらの経験があったからこそ、WorkFlowyで文章を書くことを掘り下げることができ、WorkFlowyをプレゼン資料として使うことができ、WorkFlowyで物語の構造を把握するという発想を持つことができ、WorkFlowyという全体から一部を切り出して固定化することの価値を実感でき、WorkFlowyを「自分の道具」へカスタマイズすることのイメージを膨らますことができました。

自分では、私による「WorkFlowy」についての知的生産の肝は、WorkFlowy基本5原則に集約されると思っています。自分の生活すべてをひとつの「アウトライン」に同居させ、そこから一部分を切り出すことがWorkFlowyによる知的生産であること。「アウトライン」の構造を変化させるのは「トピック」を手作業で動かすというアナログだけれど、「アウトライン」の表示切替については、Zoomや折りたたみというデジタルの強みを活かすこと。WorkFlowyは使うだけなら簡単なので、毎日の「文章を書く」ことに気楽に使うとよいこと、などです。

こんな、私による「WorkFlowy」の知的生産を、少なくとも私自身はけっこう面白いものだと思っているのですが、このような自分で面白がれる肝を生み出せたのは、私が、WorkFlowyプチ研究者である以前に、父であり、大学講師であり、村上春樹のファンだからなんだろうなと思います。「WorkFlowy」というテーマとは全然関係のない、私のいろいろな経験が、現に私が生きている私の生活が、この知的生産に溶け込んでいるからこそ、けっこう面白いものを生み出せたんだろうと思うわけです。

そもそも、特定のテーマについての知的生産にだけ集中する、とは、そのテーマの知的生産のために役に立つことだけに集中する、ということを意味します。知的生産に役立たないことは排除し、知的生産のために役立つ情報だけを集め、知的生産のために役立つ思考だけに取り組む、というトップダウンの合理的な戦略です。

しかし、何がどのように役立つかわからないのが、知的生産の特徴です。全然関係ないように思っていた別の情報が突然合流して結実することによって、力のある知的生産が生まれます。それなのに、最初から合理的に判断できる「役立つ情報」「役立つ思考」だけに限定してしまっては、予想外の知的生産を排除してしまいます。

計画的に合理的に一定品質のものを生み出すことはできるかもしれません。そんな知的生産が求められる場面もあるかもしれません。でも、少なくとも、個人が自分を賭けるべきテーマの知的生産なら、計画性や一定品質の確保よりも、もっと大切なことがあるはずです。

つまり、少なくとも「個人の継続的な知的生産」にとっては、仮にできるとしても、自分の実際の生活すべてをその知的生産に集中させることは全然好ましいことではなく、むしろ、その知的生産とは関係のない実際の生活があることが、その知的生産を豊かなものにしてくれるわけです。

別の見方をすれば、これは、知的生産の母体を自分の毎日の生活に置く、ということでもあります。

自分が過ごす毎日の生活は、ある意味、もっともたくさん情報が流れる場です。どんなにたくさん本を読んでも、どんなにたくさんセミナーに参加しても、実際の毎日の中で流れる情報の方が、量も質も、圧倒的に豊かなはずです。だったら、その豊かな情報を、発想や思考や表現を生み出す土壌として活用しないのはもったいないといえます。「毎日の生活を圧縮して知的生産に集中するにはどうしたらよいか?」と考えるよりも、「毎日の生活を、自分なりの知的生産の母体とするには、どうしたらよいか?」と考えるほうが、ずっと賢い選択です。

そのため、「個人の継続的な知的生産」の場面では、知的生産とは関係のない毎日の生活がある、という制約は、解消すべきものではなく、むしろそれを前提として活かすべきものです。

3.全体と一部分/階層の上下

(1) 生活全体の中から、目的に対応した一部分を、知的生産として切り出す

では、自分の毎日の生活を知的生産の母体とするには、どうしたらよいでしょうか。

毎日の生活を流れる情報が豊かであるのはまちがいないとしても、毎日の生活を流れる情報は、ぐちゃぐちゃで、混沌としています。それをそのままどこかに提出しても、知的生産にはなりません。ぐちゃぐちゃで混沌としている豊かな毎日から、知的生産を生み出すには、何らかの工夫が必要です。

ここまできて、やっと、「全体と一部分」の話に戻ってきました。

「全体から一部分を切り出す」がその回答です。「全体」が「自分の毎日の生活そのもの」で、「一部分」が「自分にとって大切なテーマについての知的生産」に相当します。

たとえば、ある休日の朝、私は、ひとり早起きをして、「WorkFlowy基本5原則」についての文章を書いていました。でも、その文章を最後まで書き上げるまでに、子どもが起きてきました。子どもと一緒に過ごす一日の始まりです。トイレに行って、朝ごはんを食べ、歯磨きや着替えをして、荷物を用意して公園に行きます。砂場や滑り台でたっぷり遊んだあと家に帰り、昼ごはんを準備し、一緒に食べ、一緒に昼寝をします。子どもがぐっすり眠っていることを確認したら、私はいそいそとパソコンを開き、再び、「WorkFlowy基本5原則」に戻ってきます。

「WorkFlowy基本5原則」のことだけを考えるなら、子どもが起きてから昼寝するまでの時間は、何の役にも立たずに流れ去ったように見えます。でも、実は、ちがいます。この間に私が子どもと一緒に経験したことから、「WorkFlowy基本5原則」のヒントをもらったからです。

たとえば、砂場で大きな山を作った子どもは、「ママに見せるから写真撮ってー」といいました。私がスマホで写真を撮ったことを確認すると、子どもは、「どーん」とその山を壊して、次の何かを作り始めました。それを見て、私は、一部分を固定して残すからこそ、全体を自由に変えていけるんだな、と納得したものです。この発見は、第3原則に取り込まれました。

こんな直接の関係だけでなく、私が経験するすべてのことは、私が過ごす毎日の生活という全体を豊かにしているはずです。そのひとつがまわりまわって、「WorkFlowy」についての知的生産に取り込まれていきます。

「自分の毎日の生活そのものという全体を母体として、その全体から、自分にとって大切なテーマについての知的生産という一部分を切り出す。」こうすれば、自分の毎日の生活全体を母体としながら、大切なテーマについての知的生産を、ぼちぼちと、でも継続的に続けることができます。おまけに、そのようにして生まれた知的生産は、必然的に、自分ならではのものになります。

これが、「個人の継続的な知的生産」のあり方です。

(2) 階層の上下から考える

全体と一部分(それより上の階層がない・それより上の階層がある)」で考えたことは、「全体・一部分」の関係は、「それより上の階層がない・ある」から派生しているのではないか、ということでした。

そこで、この「全体・一部分」という「個人の継続的な知的生産」のあり方を、「階層の上下」から考えてみましょう。

まず、ここでは、2つの階層が問題となります。ひとつの階層は、「特定テーマの知的生産」です。もうひとつの階層は、「生活全体」です。

次に、この2つの階層には、上下関係があります。「生活全体」が上位階層で、「特定テーマの知的生産」が下位階層です。「「特定テーマの知的生産」のために「生活全体」があるのではなく、「生活全体」のために「特定テーマの知的生産」があるという関係です。どっちが大切、という話と直結するわけではありませんが、どっちが上野階層かといえば、「生活全体」です。

そして、「生活全体」は、最上位階層です。「生活全体」の下位階層には、「特定テーマの知的生産」のほかに、「子育て」とか「仕事」とか「趣味」とかの階層があります。

さて、この階層構造を前提として、ここで考えてきた「個人の継続的な知的生産」の問題とは、どのようなものでしょうか?

まず、「個人の継続的な知的生産」が抱える制約を階層で表現すれば、「特定テーマの知的生産」と同じ階層レベルに、「子育て」や「仕事」や「家事」や「趣味」など、他の階層が存在している、ということです。

次に、「知的生産だけをしていたい!」という思いは、同レベルの他階層の割合をできるだけ小さくして、「生活全体」に占める「特定テーマの知的生産」の割合を高めたい、ということです。

でも、この文章で考察してきたあり方は、ちがいます。

「特定テーマの知的生産」という階層は、「生活全体」という階層が持つたくさんの下位階層のうちのひとつに過ぎません。「生活全体」の下には、他の下位階層が存在します。そして、これら同じレベルの他の下位階層の中には、「特定テーマの知的生産」と同じくらいかそれ以上に大切な階層がたくさん存在します。であれば、これら同じレベルの他階層が存在することを所与の前提として、むしろそれを積極的に活かすしかありません。

そこで、「生活全体」という最上位階層を通じて、他の下位階層すべてを、「特定テーマの知的生産」という階層に取り組むことを目指します。「特定テーマの知的生産」という階層と「生活全体」という階層を含む構造を認識し、この構造を積極的に活かすための戦略です。

このように考えれば、「特定テーマの知的生産」より上の階層が存在することは、もはや制約ではありません。「特定テーマの知的生産」よりも上に、「生活全体」という最上位階層があるからこそ、「個人の継続的な知的生産」から、その人なりの価値が生み出されます。

4.おわりに

以前から、「個人の継続的な知的生産」に関心を持ってきました。

Evernoteを試したりブログを始めたりしたきっかけのひとつも、ここにあります。実際、Evernoteとブログは、「個人の継続的な知的生産」のための私の環境を、ずいぶんと整えてくれました。でも、あと少し、何かが足りませんでした。

この空白を埋めてくれたのが、2015年1月に使い始めたWorkFlowyでした。WorkFlowyのおかげで、私の継続的な知的生産は、うまく回り始めました。

WorkFlowyは、とてもシンプルな道具です。そんなWorkFlowyが、なぜ、空白を埋めてくれたのか、その理由を、ずっと不思議に思っていました。そうしたところ、最近、この「全体と一部分(それより上の階層がない・それより上の階層がある)」を書いたら、このあたりのことが、ずいぶんと見えてきました。この記事に対してTwitterでいただいたコメントのおかげでもあります。

「全体・一部分」でいえば、「自分の毎日の生活そのものという全体を母体として、その全体から、自分にとって大切なテーマについての知的生産という一部分を切り出す。」というあり方です。

「それより上の階層がないか・あるか」でいえば、「特定テーマの知的生産」より上の階層が存在することは、制約ではなく、むしろ、「特定テーマの知的生産」よりも上に、「生活全体」という最上位階層があるからこそ、「個人の継続的な知的生産」がその人なりのものになる、ということです。

そして、私にとっては、WorkFlowyという道具こそが、このあり方を自然と実現してくれた存在なのです。

と、ここまで長々と書きましたが、これは、実はまだ半分です。

このあり方には、まだ続きがあります。それは、全体から切り出した一部分が、全体に還元される、ということです。還元を取り込んで、全体はまた変化します。あたかも生命体のようなものです。

この残りは、また改めて。

お知らせ

このエントリは、その後、加筆修正などを経て、書籍『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』の一部分となりました。

書籍『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』の詳細目次と元エントリは、次のとおりです。

『クラウド時代の思考ツールWorkFlowy入門』の詳細目次と元記事の紹介

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