寝て安静にしてるうちに正月が終わってしまったけれど、いろいろよかった
公開日:
:
単純作業に心を込める
目次
1.正月早々体調を崩して、寝て安静にしてるうちに正月が終わってしまった
気づけば、2014年も1週間が経ちました。
2014年の最初の数日間は、妻と子どもだけが妻の実家に帰り、私は自宅でひとりお留守番、ということになっていました。自宅でお留守番の間にやらなければいけないことは多少ありましたし、若干寂しくはあるのですが、この数日間は、ひとりで過ごせる自由な時間でした。
こんな機会は滅多にないと、私は、2014年が始まる前から、2014年最初の数日間でやりたいことを、たくさんリストアップしていました。
そのリストには、このブログに関することも並んでいました。たくさん記事を書こうと思っていましたし、テーマのカスタマイズとか固定ページの編集とかもやろう、と思っていました。また、2013年をふり返って2014年の見通しをつけたいな、なんてことも考えていました。
ところが、2014年1月1日から、わりとやっかいな風邪を引いてしまい、数日間ひとり寝込んでいました。2日間寝ていたら体調はずいぶんと回復したのですが、無理できる状況ではなかったため、その後も安静にして過ごしていました。
そうこうしているうちにその数日は終わってしまいました。うきうきしながらリストに書いたことを何ひとつしないまま、寝て安静にしているうちに、私の正月は過ぎ去ってしまいました。
2.でも、いろいろよかった
やりたいことができなかったという点では残念だったのですが、でも、寝て安静にすることで数日間を過ごしたことは、いろいろよかったなと思います。どんな点がよかったのか、確認してみます。まあ、若干無理矢理のこじつけですが。。。
(1) 満足いくまで寝た。
何よりも、よく寝ました。これはとてもよかった。
子育ては、今の私の生活の中心です。子どもはかわいいし、子育てということに意義も感じるので、子育てに自分の資源をどんどんつぎ込むことに全然疑問はないのですが、ただ一点だけ子育てでつらいのは、あんまり寝られないことです。
ひとつは、やることがけっこう多いので、以前ほど十分な睡眠時間を確保できない、ということです。子どもが寝てから家事を片付けたり、子どもを保育園に送り届けるために毎朝早起きしたり、ということで、睡眠時間が1日1時間ほど減ってしまいました。
もうひとつは、睡眠の質の問題です。夜中に子どもが泣いたり、寝返りで突進してくることで目が覚めることがざらなので、夜から朝まで間断なく泥のように眠る、ということが、あんまりありません。
そんなわけで、ちょっと睡眠が足りてなかったのかな、という気がしていました。
これに対して、正月早々風邪を引いて、2日間、ひたすら寝て過ごしました。48時間中40時間くらいは寝ていた計算になります。
これだけ寝ると、体も休まり、頭もすっきりします。とことん熟睡したことで、本当にきもちよかったです。体が喜んでいたような気がしました。
それと同時に、睡眠って大事だな、と再認識しました。2014年は、子育てに没頭しながらも、できる限り睡眠の時間と質を確保したいなと思います。
(2) 生活の速度を落とす、ということを意識できた。
それから、生活の速度ともいうべきものを意識することができました。知らないうちに、生活の速度がかなり上がっていたのではないか、もう少し速度を落とす、ときにはしばらく止まる、というのもいいんじゃないかな、と感じました。これもよかったです。
私は、わりと時間に対して貧乏症なので、いつも何かしら意味のあることをして時間を過ごしていたい、と思ってしまう方です。そのため、特別なことがないと、一日の中でできる限りたくさんのことをしなければ、という方向で物事を考えてしまいます。特に、最近は子育てが生活の中心なので、家事をするのも読書をするのもブログ記事を書くのも、全部子育ての合間です。隙あらば何かをしよう、という感じで生きていました。
感覚的な表現なのですが、こんなことをしているうちに、生活の速度がずいぶんと上がっていたように思います。
ところが、年始に風邪を引いて寝込んだために、生活の速度は止まりました。意味あることをしようとはあんまり考えないで、寝たりぼんやりしたりして暮らしていました。ほとんど止まっているようなゆっくりした速度で、この数日を過ごしました。
少し退屈はしましたが、飽きることはありませんでした。たまにはいいなと思いました。
これからも、自分の生活の速度をきちんと観察して、ときどきは生活の速度を緩めたいと思います。
(3) 何もしていない状態が不快ではない、ということに感謝できた。
最後に、何もしていない状態が不快ではない、ということがすごくありがたいことなんだ、ということを思い出すことができました。何もしていない状態が不快ではない、ということを感謝していたいなと思います。これは特によかったです。
今回の風邪で、私が体験した症状は、寒気と頭痛と吐き気と腹痛でした。いちばんひどかったときは、寒気でゾクゾクして、頭が痛み、おなかが痛いのと何となくの気持ち悪さが同時におそってきました。じっと横になっているしかないのですが、じっと横になっていても、治まりませんでした。
そのとき思ったのは、何もしていない状態で不快なのはすごくきつい、ということです。そして、そこから回復して痛感したのは、何もしていない状態が不快ではない、というのは、天の恵みと表現しても大げさじゃないくらい、すばらしいことだ、ということです。
何もしていない状態が不快ではないのは、まあ、多くの人にとってあたりまえの状態かもしれません。私も、風邪を引いたりしていないときは、何もしていなければ全然不快ではありません。
でも、あたりまえなことでも、これはすごく価値があることなんじゃないかと思います。何もしていない状態が不快ではない、というのは、生きていく上で基本となる恩恵です。2014年は、できる限りいつもこのことを意識して、感謝していたいなと思います。
スポンサードリンク
関連記事
-
単純作業に心を込める、3つの方向性
1.はじめに 私は、単純作業に心を込めることを、自分の行動指針にしています。単純作業に心を込めるこ
-
デンタルフロスから考える、好ましい習慣を身につけるために大切な3つのこと+1
1.デンタルフロスの習慣が身についた 私事ですが、2013年4月、私は、ついに、デンタルフロスの習慣
-
「枠の外に混沌さを排出することによって、内部の秩序を高める」という動きは、日常の中に、当たり前のように存在する。
先日、これを書きました。 「個人のための知的生産システム」内部の秩序を維持するための、2つのアプロー
-
ルサンチマンに負けない生き方。自分の条件を既定と捉え、その条件のもとで自分なりの生き方を描く。
私はこれまでの人生で、多くの本に助けられてきました。その中でも、特に助けてもらった本が、『実存からの
-
もしも、子どもに、「生きる意味って何?」と尋ねられたら。
大学生の一時期、私は、「人生全体の目的」とか「生きる意味」とかのことを、本気で、考えていました。 昨
-
「ここにいたんだ」体験への合理的戦略
『宇宙兄弟』の「ここにいたんだ」が好きだということ、そして、自分自身が、彩郎として、「ここにいたんだ
-
「文章群を書き続ける」という積極的な社会参加のあり方
1.積極的な社会参加へのあこがれと、その実現 大学生の頃から、知的生産にあこがれていました。本を読み
-
「自分の生活全体の目的」と、「自分の生活全体」のあり方
少し前になりますが、これを書きました。 全体と一部分(それより上の階層がない・それより上の階層があ
-
「幸福度」で「幸福な人生」を表現するときの4パターン(合計値派・最大値派×主観派・客観派)
1.「幸福度」で「幸福な人生」を表現する 幸福とは何か、というのはすごく難しくて微妙な問題なので、