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「幸福度」で「幸福な人生」を表現するときの4パターン(合計値派・最大値派×主観派・客観派)

公開日: : 単純作業に心を込める

1.「幸福度」で「幸福な人生」を表現する

幸福とは何か、というのはすごく難しくて微妙な問題なので、厳密な話では全然ないのですが、仮に、生きていく上で感じるあらゆる種類の幸福を「幸福度」というひとつの数字で表現できるとします。「さっき食べたおいしいケーキは幸福度10だ。」「今日は傘を持っていなかったのに雨に降られたから幸福度3。」「がんばって書いたブログ記事がたくさんシェアされたから幸福度30はある。」とか。

このときに、この「幸福度」を使って、「幸福な人生」を表現すると、人によっていくつかのパターンに分かれるんじゃないかなあ、という気がしています。

パターンを分けるポイントはいくつかありますが、私がおもしろいなと感じている分類基準は、ひとつが「合計値派と最大値派」で、もうひとつが「主観派と客観派」です。

2.合計値派と最大値派

ある人は、「幸福な人生とは、幸福度全部の合計値が高い人生だ」と考えます。その人にとっては、人生いろいろある中で、いろんなところで得た幸福度の合計値が高い人生こそが、幸福な人生です。

これに対して、別のある人は、「幸福な人生とは、幸福度の最大値が高い人生だ」と考えます。その人にとっては、人生いろいろある中で、どれだけ高い幸福度を体験できるか、がポイントです。これまでに体験したことがないくらい高いレベルの幸福度を求めて、人生を生きることになります。

前者が、幸福度の合計値によって幸福な人生を表現する人、合計値派です。後者が、幸福度の最大値によって幸福な人生を表現する人、最大値派です。

合計値派と最大値派とでは、幸福な人生というものの捉え方が、大きく異なっています。両者は、仮に「幸福度」という概念については共通の土俵に立てたとしても、「幸福な人生」とはどんな人生か、については、全然違ってくるのではないかと思います。

3.主観派と客観派

もうひとつの分類基準は、「主観派と客観派」です。これは、そもそも「幸福度」をどのように算定するか、ということの分類です。

主観派は、「幸福度」を自分の主観ベースで算定すべきだと考えます。同じ出来事でも、自分がその出来事をどのように解釈するかによって、幸福度の数値が上下するし、そうあるべき、と考えます。

客観派は、「幸福度」は自分の解釈とは独立に、客観的に算定されるべきだ、と考えます。現実問題としては客観的に数値化するのはほぼ不可能でしょうが、当事者の解釈とは独立に、「幸福度」が客観的に定まってしかるべきだ、と考えます。幸福な出来事は幸福だし、不幸な出来事は不幸であって、それが解釈によって変わるわけではない、というわけです。

この両者にとっての「幸福な人生」も、全然別物です。主観派にとっては、究極、自分が幸福だと思えば幸福な人生です。でも、客観派にとっては、いくら自分が幸福な人生だと思っていても、客観的にいまいちだったらそれは勘違いだ、ということになります。

4.どの「幸福な人生」を求めるかによって、戦略が異なる

このふたつの分類基準によれば、「幸福な人生」のイメージには、次の4パターンができます。

  1. 合計値派×主観派
  2. 合計値派×客観派
  3. 最大値派×主観派
  4. 最大値派×客観派

マトリクスだと、こんな感じですね。

  合計値派 最大値派
主観派 1 3
客観派 2 4

 

そして、この4パターンのどの「幸福な人生」をめざすかによって、戦略が異なってくるのではないか、という気がします。

たとえば、私は、1番の合計値派×主観派です(いちばん普通ではないかと自分では思っています)。合計値派×主観派が「幸福な人生」を実現するには、

  • 全体の幸福度を底上げする
  • ひとつひとつの出来事に対する自分の解釈にアプローチすることも大切にする

というふたつが大切になります。

前者は、合計値派にとって大切なのは合計値なので、局地的に幸福度を高めて最大値を得ても、全体の合計値が伸びなければ仕方ないので、全体の底上げが大切になる、ということです。これが最大値派の場合は、全体を底上げしても最大値が上がるとは限りませんので、それよりは一点集中突破の方が合理的です。

後者は、主観派なら、客観的な出来事が同じでも、その出来事に対する解釈次第で幸福度を上げることができます。客観的な出来事を変えるよりも、その出来事に対する解釈を変える方が効率がよいので、自分の解釈にアプローチすることを重視するのが合理的だ、ということです。これに対して、客観派の場合、いくら自分の解釈にアプローチしても、「それと実際の幸福度は別物だ」という意識から逃れられませんので、あんまり効果的ではありません。

(もっとも、主観派だとしても、解釈にばかり注力して客観的な出来事をおろそかにしていると、客観的な出来事がどんどん沈没していくので、解釈によって補いきれなくなります。なので、主観派だとしても、解釈のみにアプローチするのは合理的ではありません。)

このように、「幸福な人生」をめざす場合、自分にとって、その「幸福な人生」が何を意味するのかを考えてから戦略を練る方が、たぶん、効果的です。

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