ひとつの文章によってではなく、一連の文章群によって、何かを伝える
公開日:
:
最終更新日:2014/11/23
ブログ, 単純作業に心を込める
目次
1.自分のブログに書く文章に、整った論理構造を与えやすいのは、表現する対象をシンプルに絞り込むことができるから
少し前に、こんな文章を書きました。
整った論理構造を持つ文章を書くための、自分のブログの強みと落とし穴
この文章は、
「自分のブログのために書くときと、自分のブログ以外の仕事などのために書くときとで、整った論理構造を持つ文章を書く難易度が、主観的に、大きく異なる。自分のブログのために書くときのほうがうんと簡単で、自分のブログ以外の仕事などのために書くときのほうがうんと苦労する。」
という感覚を起点として、
「同じ私が書いているのに、なぜ、文章を書く難易度が異なるんだろうか?」
という疑問を考えたものです。
このとき、私がたどり着いた答えは、
「自分のブログに書く文章は、ひとつの文章が表現する対象をシンプルに絞り込むことができるから、整った論理構造を与えやすい。」
ということです。
2.なぜ、自分のブログなら、ひとつの文章が表現する対象を、シンプルに絞り込むことができるのか?
(1) 大切なのは、「自分のブログに書く文章は、ひとつの文章が表現する対象をシンプルに絞ることができる」の部分
上で挙げた私の答えは、次の2つの命題の合わせ技です(論理トレーニングの結合論証)。
- a.ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞り込むと、その文章に整った論理構造を与えるのが簡単になる。
- b.自分のブログに書く文章は、ひとつの文章の表現対象を、シンプルに絞り込むことができる。
このうち、aは、論理的に整った文章を書くためのノウハウのようで、とても有益そうな響きがします。
しかし、実のところ、これは全然たいしたことではありません。そもそも、文章が表現する対象がシンプルであれば、文章の論理構造を整えるのが簡単だ、というのは、当たり前のことです。
加えて、決定的なのは、ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞り込むことは、実は、すごくむずかしい、ということです。普通に文章を書いていると、ひとつの文章の表現対象は、自然と、どんどん複雑になります。文章の表現対象をシンプルに絞り込むことは、自然に書いていては実現不可能ですし、意識してやろうとしても、かなり困難なことです。
そのため、「ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞り込むと、その文章に整った論理構造を与えるのが簡単になる。」という教訓は、「ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞り込むための方法論」とセットにしなければ、たいした価値を生み出すことができません。
ここで大切になるのが、「b.自分のブログに書く文章は、ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞り込むことができる。」です。これは、ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞り込むための方法論です。自分のブログに書く文章に整った論理構造を与えやすいことの本質的な理由は、この点にあります。
(2) ひとつひとつの文章単体で、表現したいことすべてを表現し切る必要がないから
では、自分のブログに書く文章は、ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞り込むことができるのは、なぜでしょうか。これが、次の問いです。
少し考えて、ひとつの答えを思いつきました。それは、
「自分のブログに書く文章は、その文章単体で、自分が表現したいことのすべてを表現し切る必要がない。だから、そのひとつの文章の表現対象をシンプルに絞り込むことができる。」
というものです。
たとえば、雑誌や連載を担当することを考えてみます。これと、自分のブログに文章を書くこととのちがいは、どこにあるでしょうか。ここでの文脈との関係で意味を持つ重要なちがいは、
「雑誌連載のために書く文章は、書いてよい文章の個数と文章をアウトプットできるペースに制限がある。これに対して、自分のブログに書く文章は、書いてよい文章の個数と文章をアウトプットできるペースに制限がない。」
ということです。月刊誌の連載に書ける文章は、毎月1個ですが、自分のブログに書ける文章は、毎月1個の制限がなく、毎週1個でも、毎日1個でも、毎日1個よりたくさんでも、自由自在です。
文章を書くとき、このちがいは、大きな意味を持ちます。それは、ひとつの文章が達成すべき役割の大きさのちがいです。
雑誌連載に書く文章は、文章の個数とペースに制限があるので、ひとつひとつの文章が、それなりに大きな役割を達成しなければいけません。そうじゃないともったいない。
でも、自分のブログに書く文章は、文章の個数とペースに制限がないので、ひとつひとつの文章は、たいして大きな役割を達成しなくても問題ありません。無限の個数の文章を、好きなだけ頻繁に書けるのですから、ひとつひとつの文章は、ほんの小さな役割を達成すれば、それで十分です。
文章が達成すべき役割とは、別の言葉でいえば、表現対象を表現することです。達成すべき役割が小さくてもいいというのは、ひとつひとつの文章の表現対象を小さくしても、ぜんぜんもったいなくないし、問題ない、ということです。
つまり、自分のブログに書く文章は、書ける個数やペースに制限がないので、あるひとつの文章で、自分の表現したいことの全部を表現し切る必要がありません。そのため、自分のブログに各文章は、ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞り込むことが、わりと簡単です。
3.ひとつの文章によってではなく、一連の文章群によって、何かを伝える
これまで考えてきたことをまとめると、こうなります。
- Q.自分のブログに書く文章は、整った論理構造を与えるのが簡単だ。なぜか?
- A.自分のブログに書く文章は、ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞ることができるから。
- Q.では、自分のブログに書く文章は、なぜ、ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞ることができるのか?
- A.自分のブログに書く文章には、個数やペースの制約がないので、たくさんの文章を好きなペースで書くことができる。そのため、ひとつひとつの文章が達成すべき役割が小さくてもかまわない。つまり、ひとつひとつの文章単体で、表現したいことのすべてを表現し切る必要がない。だから、ひとつの文章の表現対象をシンプルに絞ることができる。
ここから、自分のブログに文章を書くときの、ひとつの方針が浮かび上がります。それは、ひとつの文章によってではなく、自分のブログに書く一連の文章群によって、何かを伝える、という方針です。
●
さて、今、私は、この「単純作業に心を込めて」というブログに、いろんな文章を書いています。そのとき、私は、個々の文章ごとに、何らかの伝えたいメッセージ(あるいは問い・答え・理由)をはっきりさせるように意識しています。(参考:仮説としての「問い・答え・理由」によって、思考の範囲を区切る(私のトップダウン型思考))
でも、私が伝えたいのは、個々の文章で取り扱うメッセージ(あるいは問い・答え・理由)ではなくて、たぶん、ほんとうは、この「単純作業に心を込めて」というブログに集積した一連の文章群によって伝わる何か、です。
少し前に、「「単純作業に心を込めて」を、『千夜一夜物語』みたいなブログにしたい。」と書きました。一連の文章群によって何かを伝える、という方針も、きっと、これと同じ方向を向いているように思います。
そして、『千夜一夜物語』における「シャーラザッドとシャーリヤル王の物語」という枠物語に相当する何かが、私が一連の文章群によって伝えたい何かであり、たぶんそれは、「単純作業に心を込めて」という言葉と関連している気がしています。
スポンサードリンク
関連記事
-
ブログのGoogle+ページを作り、ブログ投稿をGoogle+に流し、ブログにGoogle+バッジを設置する
1.Google+ページを作って、やったこと 先日、「単純作業に心を込めて」のGoogle+ページ
-
「ゴール」から「目的」と「目標」を見つけることの実践(『ザ・コーチ』の方法をブログに適用してみる)
1.『ザ・コーチ』が解説する、「ゴール」から「目的」と「目標」を見つける方法 『ザ・コーチ』という本
-
整った論理構造を持つ文章を書くための、自分のブログの強みと落とし穴
1.ブログのために書くほうが、ブログ以外のために書くよりも、整った論理構造を持つ文章を書くのが、うん
-
WordPress.comへの投稿に、Windows Live Writerを使ってみる。
1.いろいろあるWordpress.comの投稿方法 Wordpress.comに記事を投稿する方
-
さくらのレンタルサーバとさくらのドメイン取得を使って、独自ドメインでWordPressを運用するために必要な費用は、年間6800円(1ヶ月あたり567円)かな。
1.はじめに 今、このブログは、Wordpress.comを使っています。 WordPress.
-
自分の好きなことへの没頭を、「作品」として公開すること
ここしばらく、ブログを続けることの意味について、考えています。普通の勤め人である私が、ブログを続ける
-
Google Chromeの機能拡張「Adblock Plus」を、Google AdSenseでは無効、Gmailでは有効にする方法
1.Adblock Plusを使うと、Google AdSenseのページを表示できない (1)
-
自分の持ち味を発揮することと、価値を見い出されること。『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』
1.『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』 (1) 自分で自分のブラン
-
「枠の外に混沌さを排出することによって、内部の秩序を高める」という動きは、日常の中に、当たり前のように存在する。
先日、これを書きました。 「個人のための知的生産システム」内部の秩序を維持するための、2つのアプロー