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「ここにいたんだ」体験への合理的戦略

公開日: : 単純作業に心を込める

『宇宙兄弟』の「ここにいたんだ」が好きだということ、そして、自分自身が、彩郎として、「ここにいたんだ」と感じられる出会いに恵まれたこと。そんなことを、次の2つの記事で書きました。

「ここにいたんだ」体験は、ほんとうにすばらしいもんだと思います。限られたパイを取り合うゼロサムゲームじゃないところなど、とても筋が良い感じです。なので、「私はたまたま偶然「ここにいたんだ」に到達しました。幸運でした。感謝。」とかで終わらせずに、ある程度普遍的な、「ここにいたんだ」体験に近づくための理論のようなものを抽出できたらと思いたち、考えてみました。

もとより、厳密な再現性はありません。でも、それなりに理屈の通ったものを抽出できた気がします。「ここにいたんだ」大変への合理的戦略と言ってもいいんじゃないかと思います。

頭でっかちですが、私の思考プロセスは、以下のとおりです。

1.前提

(1) 「ここにいたんだ」体験とは何か?

「ここにいたんだ」とは、『宇宙兄弟』の主人公六太が、宇宙飛行士選抜試験の閉鎖ボックス内で、受験仲間に対し、心のなかでつぶやいた台詞です。

宇宙が大好きだけれど、それまでの人生で自分と同じように宇宙のことが好きな友人と出会うことができなかった六太は、閉鎖ボックスで、自分と同じように宇宙のことが大好きで、宇宙についてならどんなに細かくて深いことだって好きなように話せる仲間と出会い、思わず、「ここにいたんだ」とつぶやきました。

これと同じように、長い間、ニッチな対象をひとり孤独に偏愛してきた人が、同じニッチな対象を偏愛する他者と出会い、その他者と偏愛対象への偏愛対象を共有し、幸せな気持ちになることを、「ここにいたんだ」体験と呼ぶことにします。

(2) 「ここにいたんだ」体験のために必要な条件

さて、「ここにいたんだ」体験を実現するための条件を整理してみましょう。

まず、ニッチな対象を、ひとり孤独に偏愛してきたことです。六太なら、宇宙に対する偏愛を、クラスメイトとは共有できずに、孤独に貫いてきました(まあ、日々人がいましたけどね)。

次に、同じくニッチな対象を偏愛する他者と出会って、その他者と、偏愛対象への偏愛を共有することです。六太なら、宇宙飛行士選抜試験の閉鎖ボックスで、せりかさん、新田、やっさん、福田さんと出会って、彼ら4人と宇宙のいろんな話をして、宇宙への偏愛を共有しました。

ここでのポイントは、同じニッチ対象を偏愛する他者と出会うだけではダメで、偏愛対象への偏愛を共有しなければいけない、ということです。このためには、最低限、相手が同じ偏愛対象を偏愛していることをお互いに認識する必要があります。さらに、相手の偏愛対象に対する偏愛をお互いに認め合うところまでいけば、文句なしです。

以上から、「ここにいたんだ」体験のために必要な条件を整理すると、こうなります。

  • [これまでの歴史]ニッチな対象を、ひとり孤独に、偏愛してきたこと
    • [条件1]ニッチな対象を偏愛してきた
    • [条件2]ニッチな偏愛対象への偏愛が、ひとり孤独なものだった
  • [出会いと共有]同じニッチな対象を偏愛する他者と、偏愛対象への偏愛を共有する
    • [条件3]同じニッチな対象を偏愛する他者と出会う
    • [条件4]同じニッチな対象を偏愛する他者と、偏愛対象への偏愛を共有する
      • [条件4-1]互いに、相手が、同じニッチな対象を偏愛していると認識し合う
      • [条件4-2]互いに、相手の偏愛対象への偏愛を、認め合う

2.とりあえずの基本戦略と本質的な課題

(1) 前提条件としての[これまでの歴史]

[これまでの歴史]の条件である「ニッチな対象を、ひとり孤独に、偏愛してきたこと」は、いわば、「ここにいたんだ」体験の前提条件です。

本当はここがいちばん大切なのかもしれないのですが、とりあえず、これは満たされているものとして考えます。つまり、さしあたりは、「ニッチな対象を、ひとり孤独に偏愛してきた人が、「ここにいたんだ」を実現するには、どうしたらよいか?」という課題に取り組みます。

(2) とりあえずの基本戦略=ウェブで他者との出会いを求める

この課題に対するとりあえずの基本戦略は、「ウェブで他者との出会いを求める」です。

なぜウェブなのか。母数を十分に大きくするためです。ニッチな対象への偏愛を共有できる他者を探すには、母数をできる限り大きくすることが大切です。小さな母数では、その中に、ニッチな対象への偏愛を共有できる他者が、そもそもひとりもいないかもしれません。でも、ウェブが可能にする母数は、とても広大です。ウェブであれば、その中にニッチな対象への偏愛を共有できる他者が存在するために十分に大きい母数を確保できます。

以下では、ウェブのどこかには、ニッチな対象への偏愛を共有しうる他者が存在している、ということを前提にして、検討を進めます。

(3) 本質的な課題=見つけるか、見つけてもらうか?

ウェブのどこかに、ニッチな偏愛対象への偏愛を共有しうる誰かが存在しています(ということにします)。

とすれば、残る課題は、その他者と出会うこと[条件3]と、その他者と偏愛対象への偏愛を共有すること[条件4]です。そして、偏愛対象の共有のためには、お互いに偏愛対象への偏愛を認識しあうことと[条件4-1]、偏愛対象への偏愛を認め合うこと[条件4-2]が必要になります。

では、これらの条件を満たすには、まず、どうしたらよいでしょうか?

選択肢は2つです。

  • 自分が相手を見つける
  • 相手に自分を見つけてもらう

この、見つけるか、見つけてもらうかが、「ここにいたんだ」体験への戦略の分岐点となります。

3.「ここにいたんだ」体験への合理的戦略は、どちらか?

(1) 見つけるか、見つけてもらうか?

ウェブで偏愛対象を共有できる他者との出会いを求めるとして、自分が相手を見つけるか、自分を相手に見つけてもらうか。2つの選択肢のうち、どちらが合理的でしょうか。

自分を相手に見つけてもらうというのは、受け身であり、他力本願で消極的な姿勢のように思えます。これに対して、自分が相手を見つけようとするのは、自分の力で出会いを獲得すべく、自分から主体的かつ積極的に動くということであり、いい感じです。だとすれば、とるべき合理的戦略は、自分が相手を見つけること、でしょうか。

いいえ、ちがいます。

ウェブで偏愛対象を共有できる他者との出会いを求めるならば、自分で相手を見つけようとするよりも、自分を相手に見つけてもらうほうが、ずっと合理的です。

ただし、自分を相手に見つけてもらうとは、なにもしないで棚からぼたもちが落ちてくるのを待っていればよい、という他力本願な姿勢ではありません。ことわざでいうならむしろ、人事を尽くして天命を待つの方が近く、より正確に表現すれば、主体的かつ積極的にウェブに情報を出し続けることで、ふさわしい相手から見つけてもらいやすい環境に自分を置き続ける、ということです。

以下、もう少し詳しく、「自分が相手を見つける」と「自分を相手に見つけてもらう」を比較検討します。

(2) 「自分が相手を見つける」の弱点

「自分が相手を見つける」という戦略の弱点を考えてみましょう。

まず、「自分が相手を見つける」がうまくいくのは、上で前提とした「ウェブのどこかには、ニッチな対象への偏愛を共有しうる他者が存在している」に加えて、少なくとも、次の条件が必要です。

  • その他者が、ニッチな対象への偏愛を、ウェブに情報として上げている。
    • 偏愛対象への偏愛をウェブに情報として上げていなければ、自分からは、その相手がニッチな対象を偏愛していることが、わかりません。
  • 相手に対して、ウェブ経由でアクセスする手段が公開されている。
    • その他者が偏愛対象への偏愛を共有しうる相手だということがわかったとしても、連絡手段がなければ、どうしようもありません。

これらの条件は、いずれも、自分にはどうしようもありません。

次に、仮にその相手が偏愛対象への偏愛をウェブに情報として上げていて、しかも、連絡手段をウェブ上に公開している(メールアドレスやTwitterアカウントなど)としても、それだけでは[条件3]が満たされるだけで、[条件4](特に[条件4-2])は手付かずです。そのため、自分から連絡を取り、自分が偏愛対象への偏愛を共有しうる者だということを相手に認識してもらい、さらに、お互いに、相手の恋愛対象への偏愛を認め合う関係を育てていく必要があります。「ここにいたんだ」体験とは、ずいぶんと長い距離があります。

さらに、その相手との間で「ここにいたんだ」体験まで至らなかった場合に、「相手を見つける」のために自分が投下した資源は、無駄になります。その相手との間にニッチな偏愛対象への偏愛を共有できるだけの関係を育もうとして費やした資源は、その相手との間に関係を育てることができなければ、どんな価値にもつながりません。

このように、「自分が相手を見つける」という戦略は、ウェブにおいて他者との出会いを求めるのなら、合理的ではありません。

(ただし、既にウェブ上に偏愛対象を共有するコミュニティができていれば、話は違ってきます。そのコミュニティに参加すればよいのですから、自分からそのコミュニティに近づき、自分でそのコミュニティを見つける方が合理的です。)

(3) 「自分を相手に見つけてもらう」の優位性

これに対して、「自分を相手に見つけてもらう」という戦略には、次のような優位性があります。

まず、前提として、「自分を相手に見つけてもらう」とは、「自分が情報をウェブに出し続けることによって、ふさわしい相手から見つけてもらいやすい環境に自分を置き続けた上で、相手に見つけてもらうのを待つ」という戦略です。座して待つだけではありません。

ですから、この「自分を相手に見つけてもらう」戦略のためには、情報をウェブに出し続ける、という行動を取ることができます。基本的には、次のような行動です。

  • 情報とは?
    • ニッチな偏愛対象に関する情報
    • ニッチな偏愛対象と自分の関わりに関する情報
    • 自分に関する情報
  • ウェブに出すとは?
    • 自分のブログを持つ
    • TwitterやFacebookなどのSNSを利用する
    • KDPや作品投稿サイトなどに発表する

これに加えて、

  • ウェブ上に人格を用意する
    • もちろん、実名でもかまわない
  • 自分が出した情報のすべてをその人格に紐付ける

ということを実践すれば、なおよいです。

この戦略には、どんな優位性があるでしょうか。

まず、自分の行動が、他の物事に依存していません。「ここにいたんだ」体験につながる相手が何をしていようと、自分の行動は同じです。

次に、自分の行動の結果が、ウェブに蓄積します。自分が出す情報は増え続け、それにともなって、見つけてもらいやすい環境は少しずつ強化されていきます。

もちろん、相手が自分を見つけてくれなければ、「ここにいたんだ」体験にはつながりません。この意味で、相手に依存しています。でも、相手に見つけてもらえなくても、自分の行動を続けることは、ニッチな対象に対する自分の偏愛を捉え直し、深めることになります。ニッチな偏愛対象に対する偏愛を掘り下げることは、「ここにいたんだ」体験に結びつかなくてもそれ自体で価値のあることですし、さらに、いつか「ここにいたんだ」体験に結びついたときに一気に力を発揮します。

「自分を相手に見つけてもらう」戦略の合理性は、こんなところにあります。

4.まとめ

(1) 「ここにいたんだ」体験への合理的戦略

「ここにいたんだ」体験のためには、自分が相手を見つけようとするよりも、自分を相手に見つけてもらおうとする方が、合理的。

ただし、座して待つのではなく、積極的かつ主体的に自分が情報をウェブに上げ続ける。ニッチな偏愛対象についての情報、ニッチな偏愛対象と自分の関係についての情報、ニッチな偏愛対象を偏愛する自分についての情報を、ブログやSNSなど、ウェブに蓄積する。こうすることで、同じニッチな偏愛対象を偏愛する他者から見つけてもらいやすい環境へと、自分を置いておく。

この行動であれば、他者に依存せずに自分だけで実行可能な上、仮に相手に見つけてもらえなかったとしても、ウェブ上に蓄積される情報が強化されることによって効果を蓄積できる点と、自分の偏愛を掘り下げることができる点で、可能性に開かれている。

(2) 論理のつながりが緩いところ

ただし、以上の合理的戦略は、以下の2点で、ちょっと論理が緩い。

a.ウェブか、リアルか

ウェブで探すことを前提としている。ウェブの大きな母体なら、ニッチな偏愛対象への偏愛を共有できる他者が存在する、ということを前提としている。

でも、ウェブよりもリアルを探した方が合理的な場合もある。

実際、オリジナルの「ここにいたんだ」は、六太が宇宙飛行士選抜試験というリアルの場に飛び込んだことによって、実現した。必ずしもウェブが万能ではない。

b.既に場があるか

ウェブかリアルかと少し重なるけれど、「そのニッチな対象に対する偏愛を共有する人たちの場」がすでに存在しているか否か、も重要である。

仮に、すでに場が存在しているなら、自分を見つけてもらうよりも、自分からその場に入る方がよい。

リアルの場合、そんな場は、組織のかたちをとっていることが多い。例えば学会とか。

ウェブにも、そんな場が存在することがある。ウェブ上のコミュニティは、そんな場の一例。WorkFlowyのコミュニティとかも。

「自分を相手に見つけてもらう」戦略が合理的なのは、とりあえず明確な場が見つからない場合、あるいは、場はありそうだけれど、その場では「ここにいたんだ」体験が得られないんじゃないかという気がする場合に限られる。

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